世界中を旅していた時、「どの国がいちばん印象に残った?」という定番の質問を数え切れないほど受けましたが、私は間違いなくキューバを挙げました。
「好きな国」「楽しかった国」というよりは、あくまでも「印象に残った国」といった表現ではありますが、それほどキューバが私に与えた衝撃は今までに感じたことのないものでした。
初めてのキューバ訪問
2016年に、私が初めてキューバに訪れた際の話をします。
当時、ぬくぬく生きてきた世間知らずな20代だった私は、恥ずかしながら歴史や社会情勢などを詳しく理解しきれておらず、はじめは「なんとなく来てしまった観光客」としての目線でしか物事を見れていませんでした。
その当時の自分がもし、あの時キューバで誰とも出会っていなければ、なんとなく観光して、なんとなく「キューバってこんな感じなんだな」と思って、「人生で一度は行けたからもういっか」と、二度と訪れることがなかったのかもしれません。
しかし不思議な縁で一人のキューバ人青年と出会い、彼の家族とも共に時間を過ごし、観光では知りえなかったキューバ人のリアルな生活を体験。
(さらには事故にも巻き込まれかけ、初めて本気で死を意識する出来事もありました・・・。)
キューバに訪れたたった数日の出来事が、私の人生にとって大切な学びや変化を与えるきっかけとなりました。
もちろんその数年後、キューバで結婚して暮らすことになったのも、すべてが何かの運命で繋がっていたのかもしれませんね。
あの頃、どっぷりとぬるま湯に浸かってボーっと生きてきた私が、旅をしていて初めて深く考えさせられたキューバでの出来事をシェアさせていただきます。
テクノロジーから離れた生活をして気づいたこと
初めてキューバに到着して最初に驚いたのは、自由にネットが使えないと知ったこと。
それまで常にスマホやコンピュータが生活の一部にある中で生きてきたので、最初の2、3日はつい癖でスマホをチェックしようとしては「あ、オフラインなんだった」と気づくことが何度もあり、自分がいかに日頃からテクノロジーに依存していたかを実感しました。
キューバでインターネットに接続するには、裏面にスクラッチ式のコードが書かれている専用のカードを購入し、国が設置している専用のWi-Fiに接続できる場所(公園など)に出向く必要があります。
とはいえ通信速度も粗末なものですし、利用料は1時間につき約100円程度なのですが、その金額は多くのキューバ人にとっては決して安くありません。
偶然ふと立ち寄ったWi-Fiが設置された広場で、ネットにわざわざ接続しに来ているキューバ人たちの様子を観察していると、彼らの多くはその貴重な時間を、離れて暮らす家族や友人と話すために使っていて、スマホやタブレットのスクリーンを数人で覗き込んだりしながら笑顔でとても嬉しそうにしているのが印象的でした。
24時間いつでもインターネットがある日本で、ちょっと動画やページの読み込み速度が遅いくらいでイライラしている自分たちは何だったのだろう。。と、その時なんとも言えない気持ちになったのを覚えています。
キューバに滞在して3日くらい経つと、意外とすんなりスマホの無い生活にも慣れてきました。
すると、他の旅行客と共同のホステルに泊まっていたのですが、彼らも同じくネットのない状況なので、自然と会話をする機会が増え、仲良くなるきっかけが多くなりました。
道に迷ったり何か知りたいことがあっても、スマホではなく人に直接話しかけて聞くようになったりと、今までネットに費やしていた時間、「人との交流」の時間が増えるようになったのです。
紙の地図やメモを駆使したり、待ち合わせも時間や場所を決めてオンタイムで集合したり、アナログのテレビやラジオからの音楽を楽しむ。
まるで、ネットがほとんど普及していなかった子供だった頃(20年くらい前)に戻ったようで新鮮な体験でした。
キューバ人の生活と、見えない壁
その後、偶然に知り合った現在のパートナーでもあるYonと話すようになり、キューバ人の生活についていろいろ質問しました。
中でもなかなか衝撃的だったのは、ほとんどの彼らがわずかなお金しか稼げず、その中でなんとか生き延びなくてはいけないということ。
一般的なキューバ人の平均的な月収は、日本円で2,000円にも満たない程度。
日給でも週休でもなく、1ヶ月の給料です。
高収入とされる医者の場合でも、月収が4,000〜6,000円ほどだと言われています。
(いずれも数年前の話なので、時によって多少変動があるようですが・・。)
政府から国民に対しての援助や保証があるとはいえ、実際には十分には補うことが厳しく、不正や政府を介さずに個人で商売をする人も多いというのが現状です。
そして社会主義制度であるキューバで、政府の規制や圧力により管理された生活は、国外からの政府に都合の悪い情報は遮断され、反政府的な発言も制限されます。
国民は不十分な食料や物資しか与えられず、政府や権力者は富を独占。
結局、平等な制度なんてどこにもありません。
今までテレビや小学校の頃の授業なんかで、世界のどこかの貧困問題や社会問題のエピソードを観ていても、やはり遠い遠い国の話でありどこか他人事のような、実感があまり湧かなかった気がします。
海外に行くようになっても、結局は観光客としてその国の豊かな側面だけに触れる機会のほうが多く、貧しい国やその環境下で生活する人のリアルな声を聞いたり触れる経験はありませんでした。
しかしこの時キューバで、自分の目や耳で見て聞いたものは、初めて私の心にずしんとくるものがありました。
私がキューバで彼らと同じ空間に一緒にいて、同じ景色を見ながら、同じように笑ったり話したりしているのに、目に見えない大きな壁を感じる。
ただ生まれた国が違うという理由だけで。
こうして私が自由に旅行をしているのも、彼らのほとんどは一生叶うことのない体験。
私の旅の話や日本の生活の話を、今まで出会った誰よりも喜んで興味津々に聞いてくれたのも、Yonと彼の家族たちでした。
何百枚もある旅の写真も、目を輝かせながら一枚一枚じっくりと見てくれていたのを覚えています。
キューバで崩された「幸せの価値観」
数日間の滞在を経て帰国の日。
友達となったYonが空港まで送ってくれることになりました。
「実は空港に行くの生まれて初めてなんだ!」と少し楽しそうなYon。
なぜならキューバで飛行機に乗るのは外国人か、お金に余裕のあるキューバ人だけ。
空港に着くと、初めて飛行機を見た子供のように目を輝かせながら、離陸する飛行機を間近で見て興奮していました。
チェックインの為に列に並ぶも、すでに大行列でなかなか時間がかかるので、Yonに列で待っていてもらって近くの売店で2人分のコカコーラを買って戻りました。
冷えたコーラの缶を1つYonに手渡すと、びっくりした顔で「ありがとう」と言いつつカバンにしまおうとする様子。
「今飲まないの?冷たいうちに飲まないと美味しくないよ」と言うと彼は、
「コカコーラって聞いたことはあったけど、初めて見たし、一度も飲んだことないから・・・持って帰って家族とみんなで分けようと思って・・・」と答えたのでした。
・・・・世界中どこに行っても売っているコカコーラを、一度も飲んだことない人がいるなんて!!
実際にキューバで売っていたコカコーラの値段は、キューバ国内メーカーの炭酸飲料の約2〜4倍。
地元の人が行く店では一般的には、国内メーカーの炭酸飲料、またはもっと安いシロップで薄めたような飲み物しか置いていないことがほとんどで、コカコーラは外国人に向けた一部の場所でしか売っていないのです。
私たちが普段あたりまえのように気軽に消費しているものも、彼らにとってはちょっとした高級品であり、特別な経験であるということにショックを受けました。
思わず「ちょっと待ってて!」と残った紙幣を握って売店へ戻り、彼の家族の分のコカコーラを追加で3本ほど買って渡すと、申し訳なさそうに戸惑いつつも、初めて手にするコカコーラに感激しているYonの表情を見て、嬉しさと切なさが入り混じった感情が私の心の中をめぐりました。
キューバで彼らと出会って、仲良くなればなるほどに疑問に思えてくる、育ってきた世界の「差」。
今まで何の疑問も持たず、当然のように日本で生きてきたけれども、常に物が豊富にあって、便利な生活ができて、旅行にだって行ける
そんな不自由なく生活できる環境のはずなのに、それでも「足りない」ものばかり見て不幸せ。自分も含め、そんな満たされない人ばかり。
なのに、もっともっと貧しく希望のない生活下で、キューバの人々は歌ったり、踊ったり、家族や人と交流して支え合って、今ある現状を(無理やりなのかもしれないけど)明るく生きようとしていた。
キューバに限らずこの世界中で、私の知らない場所で数え切れないほどの人たちが、想像もつかないような生活を送っているのだろう。
そして私たちはその差に対して何ももたらせず、自分の生まれた環境に沿った「幸せの価値観」に左右されてしまうのは何とも残念なことか。
そもそも、私たちは何を基準に幸せを感じられるのだろう・・・。
ハバナからメキシコシティへ向かう機内、キューバで得た経験を考えさせられながら、少しだけ心の成長を感じてキューバを後にしたのでした。
まとめ
いろんな意味で私の人生を変えることとなったあの旅から4年。
キューバの状況も少しずつ変化をして、例えばネットの普及率も徐々に増えていき、少しずつですがテクノロジーが彼らの生活に身近なものになってきているようです。
また、食料の不足や政府によるドルの独占が悪化しており、店頭に物が売られない状況かつ物価も高騰している2020年現在。
社会主義国であったはずのキューバでも、キューバ国外へのコネクションがあるかないかに左右された貧富の差がより拡大する状況となっています。
観光客として訪れるには楽しい国。
しかしその反面、多くの国民は厳しい生活を送っています。
「どうしようもできない。だけどいつまでも嘆いていても変わらないから、今ある状況の中で前向きに生きる。」
彼らと過ごしていると、笑顔の裏にそんな思いがあるようにも感じることがあります。
日本で生きていると、ちょっと働けば新しいスマホを買ったり旅行できるほどのお金が得られて、捨てるほどにものが溢れていて、便利すぎる私たちの生活。
なのに先進国やある程度豊かな環境に住む私たちほど、「足りないもの」ばかりを気にしては、永遠に満たさず、どんなに消費を繰り替えしても「幸せ」を感じにくくなっているように思います。
2017年に旅を終えた私は、人生をもう少しシンプルに捉えてみることを心がけるようになりました。
身の回りのものをミニマルにしていくのもそうなのですが、どちらかというと最初はマインド面でのシンプルさを意識しました。
いま目の前で起きていることを心から楽しんだり、感じ取ったり、向き合うこと。
スマホからも離れる時間も大事にしていると、今までSNSなんかで感じていた余計な感情(誰かと比較することや、欲や見栄など)もいつの間にかどうでもよくなって、日常のちょっとしたことに幸せを見つけたり、地味な生活でも今生きていることすらありがたいなと感じるようになりました。
もしかすると、そんなシンプルな気持ちで生きれるようになったということが、私を自然とキューバに戻らせたのかもしれません。
生きていると嫌なことやつらいこともありますが、ネガティブな気持ちを吹き飛ばすように、歌ったり踊ったり、大切な人といられる時間に感謝して、前向きに生きていきたいなと思います。
最後に、私の好きな相田みつをさんの言葉をひとつ。
“しあわせは いつも自分のこころがきめる”
人それぞれ様々な場所でいろんなストーリーがありますが、今回は私が個人的にとても思い入れがあるキューバでの話をシェアさせていただきました。
最後まで読んでいただきありがとうございます!