前回【人生最大の断捨離をした後に起きたこと】というタイトルで、モノの断捨離をしたときの様子や、それによって起きた生活やメンタル面の変化についての記事を書きました。
今回は、少し断捨離の上級編とも言えそうな「人間関係の断捨離」に関する私の体験を書きました。
もし前回の記事をまだチェックされていない場合は、そちらもぜひ読んでみていただけると嬉しいです。
部屋も頭の中もごちゃごちゃだという方の場合、まず最初にモノの断捨離をしてから、マインドや人間関係を整理していくことを絶対におすすめします。
モノの断捨離と違って「人間関係の断捨離」となると、いろいろ面倒くさい部分も多いし気まずさなんかも出てくるし、ちょっとデリケートですよね。
つまりはその「デリケートで面倒臭い人間関係」こそが、悩みやトラブルを生む要因の大部分を占めているのではないか、と私は感じています。
私はHSS型HSPという、「外交的な要素を持ちつつも、繊細で人付き合いに疲れやすい」という気質があるので、まさにこの人付き合いというものに対して長年、葛藤しながら過ごしてきました。
そんな私にとって人間関係を整理していくことは、初めは心苦しく感じるようなこともありましたが、考え方を変えて思い切ってみたところ、すべてのモヤモヤから解放されて、自分にとってプラスになることしかなかったです。
もちろん人それぞれ、内容が合う/合わない場合はあるかと思いますが、読者の皆様にはぜひポジティブな気持ちで読んで頂きたいですし、なにか一つでも繊細で疲れやすい方が生きやすくなるためのヒントになればと思います。
今回の記事は長めなので、目次から気になるところまで飛ばして読んでもOKです!
社交的だった頃
陽キャラになってみた
今や人間関係をシンプルにしすぎて、ぼっち行動やひきこもりがちな生活を楽しんでいる筆者ですが、20代の頃ははいわゆる「陽キャ」的な振る舞いをしていました。
子供の頃にほとんど友達がいなかったからこそ余計に、「人に気に入られるように外交的に振る舞うほうが良い」とか「友達や人脈は多いほうが良い」というのが正しいのだろうと思い込んでいた部分もあったのでしょう。
過去のコンプレックスのせいで暴走してしまったせいか、友達や職場の人や初対面の人にもかなり社交的に振る舞っていて、飲み会にも積極的に参加したりSNSも頻繁に使っていました。
でも、陽キャラみたいに明るくみんなに気に入られるように振る舞うのって、ある意味アイドルやタレントとかと一緒で、24時間毎日そんなキャラでいたらほとんどの人の場合は精神的に疲労します。
NOと断るのが苦手で頼まれごとも基本全部引き受けてしまったり、無理して人に合わせたり、相手の感情や態度に影響されたりすることが多く、その度に自分の気持ちがすり減っていくのも感じていました。
SNS疲れ
LINEやFacebookなどSNSでも、友達が増えていけば増えていくほどだんだんストレスを感じ始めます。
10年以上前にSNSを始めた直後は、Facebookで親しい友達とプライベートな会話や写真を共有するのに使っていたり、Instagramでも本当に自分がフォローしたい人を率先してフォローしていられたのですが、人との繋がりが増えれば増えるほど、「職場の繋がり」「友達の友達として見つかって申請きたからとりあえず友達になる人」「そんなに親しくはないけどフォローされたから一応フォロー返した人」「ずいぶん前に登録してたけど、そういえばそんな人いたな くらいの人」・・・といった微妙な存在の人たちが増えていきます。
「SNS疲れ」という言葉が生まれたように、他人の投稿なんかも「微妙な存在の人たち」が増えれば増えるほど、全然興味ない写真や、承認欲求の塊のような投稿を一方的に見せつけられてはストレスを感じるようになりますよね。
ちなみに私の場合は、近しい友達の前だとのびのびとしていられるのですが、あまり仲良くない人の前だと自分をさらけ出すのが本当に苦手です。
するとSNS上でその苦手さが発揮されてしまい、今までは内輪しか見てないからと自由気ままな投稿をしていたものも「これ投稿したらどう思われるかな・・・」とか「プライベートの写真をそんなに仲良くない人にまで見られるの嫌だな・・・」とか考え出して、どんどん発信しづらくなっていきました。
それでもってたまに何か投稿してみたら、そんなに親しくないような人たちばかりからコメントがついたり、「久しぶり~」みたいな暇そうなメッセージが来たりして返すのも面倒くさくて・・・「あぁ、SNSなんて投稿しなきゃよかった。」と後悔することも・・・。
でも不思議なもので、その当時は周りもみんなSNSをやっているのが普通だったからか、「それでもSNSをやっておくべき」みたいな義務的な意識がどこかに刷り込まれていたんですよね。
習慣なのか中毒なのか洗脳なのか・・・いずれにしても、そういう環境の渦中にいる本人って、影響を受けすぎていることに冷静になれないものです。
きっかけ
私にとって、面倒なものを捨ててシンプルに生きると決めたきっかけとなったのは26歳の時、仕事を辞めて1年間一人で旅に出た時でした。
これだと「人間関係を断捨離するには、それくらい大げさな行動をしないとできない」というように聞こえるかもしれませんが、重要なのは「環境を変えてみること」という点にあります。
環境を一変「ここにいない」をアピール
その当時私は、「しばらく海外に行きます」ということを周りに知らせたりSNS上でも宣言していました。
すると「声をかけても来れない人」と周りに認識してもらうことで面倒なお誘いの連絡もほぼ来なくなり、どんなにネットが繋がっていてすぐ連絡できようが「海外にいる」という言葉だけで、そんなに親しくない相手の脳内からなら存在感を消すことができるのに気づいたのです。
今すぐ海外に旅に出なくとも、「存在感を消す」のは、ちょっとしたことで効果を与えられます。
「SNSに投稿してないけど他人のはめっちゃ見てる」という人は多いですが、実際に誰かが投稿やいいねを一切しないようになると「この人もうSNS見てないのかな?」と思ったことはないでしょうか?
そんなに親しい相手じゃなければ、定期的に名前や顔を見なくなるとその人を思い出す回数も減り存在が薄くなっていきます。
また実際のやりとりでも、たとえ嘘でも「とても忙しい」「参加できないんです」感をいつも匂わしていたらそのうち相手も少しは引き下がっていきます。
ポイントは「もうここにはいませんよ」「誘ってもらってもほぼ無理ですよ」と、その場所から存在感を薄くすることで、中途半端な存在や、暇だから絡んでくるタイプの人たちから距離をとるということです。
LINEの友達が全員消えた!
私が旅に出る直前、日本で関わりのあったほとんどの友人や知り合いはLINEに登録されていたのですが、旅の途中でスマホを新しくした時に、以前使っていた電話番号で認証ができなくなりLINEに入っていた友達およそ300人くらいが消えました。
普通ならショックであろうはずの場面なのですが、この時「あ、なんかちょっと楽になったかも」と心のどこかで感じたのを覚えています。
本当に大事な友達や家族は、念のためと思って事前にメールアドレスなど別の連絡手段を保管していたので再びコンタクトを取ることができました。
その結果、再登録したのは家族と大事な友人だけで、たったの10人ちょっと。
でも、よく考えてみるとそれ以外の人たちってほとんど連絡取らない人や、別に消えてもそんなに困らないと思える人ばかりだったんだなと気づきました。むしろ、誰がいたっけ?とすぐ思い出せない人が大半。
何も無いのにいきなり削除するのは気が引けてしまうというだけで、実際には「何らかのきっかけ」で消えちゃたら消えたで問題ないんだ ということを実感。
万が一その人たちに偶然会って何か言われることがあったとしても、「旅行中にスマホ壊れて変えたらLINE全部消えたので」と説明できるわけだし。
つまり、私には「言い訳」と「背中を押してくれるきっかけ」が必要だったんだ!
思い切って迷いの一歩を越えてみると、あとは驚くほどに清々しいものです。
友達を減らし始める
以前書いたブログ【人生最大の断捨離をした後に起きたこと】でも触れたのですが、バックパッカー旅行をすることで「本当に必要なもの、不要なもの」を判断する良い修行ができます。
それによって、ただモノを最小限にするだけでなく、考え方などマインドまで「シンプルであること」に影響されるようになっていきました。
本当に会いたい人がわかる
まったく異なる環境に自分を放り込んで、一人で過ごす時間が増えると、だんだんと自分のことや本心に気づき始めます。
「あの人が近くにいたらな」とか「なんで今まで私にとってマイナスなコミュニティとつるんでたんだろう」とか、距離を置いてみることで自分にとって大事な人や必要な人が誰なのかはっきりしてくることが増えます。
一人で1年ほど旅をしていて、あまりにも時間を持て余してぼーっと考えることが増えると、普段なかなか思い出さないことや「あのとき仲よかったあの人、どうしてるかな。また会いたいな」などと、自分の心の奥底にある声にまで耳を傾けることもできました。
気づくと、旅をしていて手帳には「帰国したら会いたい人」のリストが出来上がっていました。
離れてみて恋人や家族へのありがたみを感じるように、普段の環境から離れてみると意外と、自分にとって本当に大事なものが見えてくるものです。
ちなみに日本に帰国した際ですが、留学中の人や海外在住の人がしがちな「帰国するので時間が合う方はぜひ連絡くださーい!」みたいな投稿は一切せず、本当に会いたい人だけに直接連絡をして会いに行きました。
たくさんの人たちと中途半端につるむよりも、少数でも本当に会いたい友達と過ごす方が断然、生活が充実しているように私は感じています。
Facebookの友達を減らし始める
LINEの友達が全部リセットされたことで、今度はFacebookなど他のSNSに登録されている人たちの存在がモヤモヤと気になり始めました。
いっそSNS全て辞めてしまってもいいかなとも思いましたが、Facebookの場合は過去10年以上メインでいろんな用途で使っていたので完全退会するのは一旦保留にし、とりあえずは解除してもいいなと感じた人たちを次々に友達から解除していきました。
今までは、投稿を見たくない・見せたくない人たちを非表示やミュートにしていたのですが、自分の敷地(アカウント)内に、そういう存在がいるというのが何だか嫌だなと思うようになってきてしまって。
「この人とは今後あんまり関わりたくないな」という人や「その時のノリで登録したけどあれから一度も話したことないし今後関わることもないな」という人から始めていき、日を改めて何度も見直していったのですが、相手にまったく嫌悪感が無かったとしても、「もしこの人の近況がわからなくなったり連絡できなくなったとしても後悔しない」と思える人が大勢いることに気づきました。
たしかに以前は関わりがあったとしても、正直その時はその時、今は今。
人も状況も時代も変わっていき、離れるべくして離れていくものもあります。
人とのご縁の大切さもじゅうぶん承知していますが、上辺だけでなくて自分が心から思える人を大事にしたらいいのではないかな と感じ、一人一人、相手との関係性を見つめ直してみました。
また、FacebookやInstagramの友達解除/フォロー解除作業をしていていると、いつの間にか自分のことを解除していた人や退会していた人が意外といることに気づきました。
個人的には、特になんとも思わない人もいれば、一瞬「あれ?」と思う人もいましたが、意外と引きずることもありませんでした。
「解除したのが相手にバレたら、嫌な気分にさせてしまわないかな?」と思う方も多いと思いますが、結局のところ解除してしまえばお互いもう関わることもないのだから(現在の職場など確実に顔を合わせる人は別として)、自分の正直な気持ちなら割り切ってしまってもいいと思います。
みんなそれぞれの考えや事情があるのは普通のことなので、それを軽く受け入れられる余裕のある大人でいたいものです。
人と会うときに費やすもの 3つ
人と会うときに費やすもの3つと言ったら何でしょう?
時間、お金、エネルギーです。
「あの人の自慢聞いてるだけの無駄な時間過ごした」
「付き合いで行った飲み会なのに1万円も払うことになった」
「2時間も電話で愚痴を聞いて疲れた」
誰もが一度はこのような気持ちになったことがあると思います。
モノの断捨離をする上でのモチベーションとして「毎日どうせなら自分の好きなものだけに囲まれていたい」と思い描くこと、これはモノだけでなく人間関係にも当てはまりますよね。
人付き合いで気持ちの乗らないことに時間やお金をかける代わりに、好きなことにお金を使ったり自分の好きな人たちとだけ過ごしていられたら一番幸せじゃないですか。
無駄なことに無駄な時間やお金やエネルギーを消費しなくて済む。
人間関係の断捨離において、一番のメリットはこれじゃないでしょうか。
人付き合い、友達とは? ★(メインテーマ)
時に人を悩ますのが、「大事ではあるんだけどたまに適度な距離を保っていたい友達」の存在。
特にHSPの人にはありがちかもしれませんが、「相手がせっかく連絡くれているのだから・・・」と、自分はあまり乗り気じゃなくても人と会ったり連絡のやり取りをした結果、どっと疲れてしまうことはないですか?
学生時代の友達だったり、長い付き合いの人なんかがいると、定期的に会ったり連絡を取るのが恒例行事のようになることがありますが、「大切な友達の一人ではあるんだけど、正直今は・・・」と自分のコンディションによっては感じてしまったり。
私は自分の感情に正直になり始めてから、このモヤモヤした気持ちにも冷静に向き合えるようになりました。
そういう気持ちになるのも別に悪いことではなくて、「今の自分がそう思ってるのなら無理しなくていいんだな」と、正直な感情を受け入れてみることで楽になりました。
「友達だからこうあるべき」という意識を変えてみることも大事かと思います。
「友達だから頻繁に連絡すべき」とか「友達だから何でも全部話すべき」とか、いつの間にかどこかで刷り込まれた、誰が決めたかわからないようなルールのようなものがありますが(カップルの場合もしかり)、そんなものが無くてもただ単純に相手を思いやれるのが「愛情」とか「友情」だと思うんですよね。
今の時代ってテクノロジーが発達したせいで、「連絡が来たらすぐに返さなきゃいけない」とか、「常に必ず人と繋がっていないといけない」というような意識を強く感じます。
でもそれが自分に合わないなら、自分らしいやり方を貫いたっていいですよね。
もしわざわざそれに文句を言う人がいるとしたら、自然と離れていっても構わないかなと思いました。
私も過去にはすべての人に対して「いい人」であろうとして努力してきましたが、そうすると自分自身を愛する余裕が無くなります。
すべての人に好かれるのは不可能です。
出会うのも縁だけど、自然と離れていくのも縁。
でも本当に縁があるのなら、離れてしまってもまた繋がれます。
「人と繋がっていなくてはいけない」という集団意識の上で成立した人間関係よりも、自然に任せた関係性というほうが私には美しく感じます。
その上で自分に合った「人との距離感」がつかめるようになると、ぐっと生きやすく充実感も増してくるように思います。
そういえば、私がキューバで暮らしている時、日本にいる親友とあえて「手紙」のやりとりをしてみました。
最初は軽いノリで始めてみたのですが、令和の時代にあえての「文通」です。笑
キューバと日本だと手紙が届くまでに1ヶ月近くかかるのですが、意外とその感じがちょうどよくて、便箋を数枚使って近況なんかを丁寧に書く作業だったり、切手を貼って思いを馳せながらポストに入れる瞬間、忘れた頃に手紙が届いたときのちょっとした嬉しさといったものが、今の時代だからこそ新鮮で楽しかったですよ。
人間関係をリセットした影響
ここまで長々と述べてきましたが、人間関係を断捨離してみた結果としては、
「そんなに重要じゃない人と会う時間」が無くなったおかげで、そのぶん自分の好きなことにもっと時間を取れるようになったり、飲み会や食事代など無駄なお金を浪費しなくて済んだこと が非常にわかりやすい効果として大きいです。
またメンタル面では、今まで心の中にあったモヤモヤした気持ちが断捨離してみることによってすっきりし、人間関係がシンプルになったらそのぶん今度は大切な人たちにもっと愛を持って接せられるようになったということです。
LINEの登録人数は10分の1以下になり、Facebookの友達も半分くらいにしましたが、何か支障が出たり後悔したことはありません。
むしろFacebookはついに退会に向けて準備し始めるようになり、最終的にはいつスマホが無くなってもいいくらいの気持ちでいきたいなとも思います。笑
※【追記】この記事を書いた後日、無事にFacebookを退会しました!
よく、「自分の周りにいる人は自分を映す鏡」だと言います。
なので自分自身が成長したり変化していけば、周りにいる人も変わっていくのは普通のことです。
だからこそ、自分のなかでモヤモヤする人や付き合いがあるとしたら、見直したり離れてみることで自分自身の可能性を広げる第一歩にもつながります。
今年はコロナも重なり会う友人も減ったものの、だからこそ本当に大切な人たちの存在がわかるようになったり、ありがたみを感じられるようにもなりました。
そして人と会う頻度も減ると、そのぶん人と会える時間というのが充実していて、強く喜びを感じられるようになったことも実感しました。
きっとコロナ禍でなかなか人に会えない状況で、同じような体験をした方も多いのではないでしょうか?
2020年は当たり前だったことが、”幸せなこと”なんだなと改めて感じさせられることが多かったですね。
まとめ
長々と私の思ったことを綴ってきましたが、今回の記事内での大事なポイントをまとめておきます。
実践のポイント
・まずは可能な範囲で環境を変えてみること(きっかけ作り)
・「ここにいない」「会えない」ことをアピール、存在感を薄める
・無理やりでもきっかけや言い訳を作れば一歩踏み出しやすくなるかも
・後悔しないと思えるなら友達解除したっていい
・人それぞれの考えを割り切って進めるのも大人の余裕
・「友達とはこうであるべき」の思い込みをなくす
・全員に好かれるのは不可能、自分自身を大切に
・自然と人と離れていくのも縁
効果
・友達が減っても意外と困ることはない
・むだな時間、お金、エネルギーを浪費しなくて済む
・大切な人たちの存在により感謝できる
・人生の充実感が増したり、新しい可能性が広がる
・つまりは成長や自分自身を大切にしてあげることでもある
あくまでも筆者Naty個人の経験や意見ですが、このブログを読んで何かひとつでも共感できることだったり参考になることを見つけてもらえていたら幸いです。
今後も、シンプルな暮らしやマインドを目指しながら、私なりのブログを発信していきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました!