個人的な話ですが昨年末についに、12年以上プライベートで使っていたFacebookのアカウントを削除しました。
ここ数年、生活が変わるほどの断捨離をし続けている私ですが、この長い間利用していたFacebookの削除を決心するのには実はしばらく悩んでいました。
20代の頃はFacebook中毒だった私が、SNSから離れていき最終的に完全削除するまでの12年間のちょっとした思い出や心境をシェアしたいと思います。
ちょっと長いので、下の目次の読みたい項目からどうぞ!
MySpaceからFacebookへ時代が移行した2000年代後半の思い出
2000年代後半、私が当時10代だった頃。
携帯電話と呼ばれるものはまだガラケー、高校時代のネット事情といえば当時の掲示板的なものや魔法のiらんどや前略プロフ・・・といったサービスが流行っていた時代。(間違いなく黒歴史。)
今でいうSNS的なものは日本ではmixiが流行っていましたね。
その頃の私はアメリカの流行りに影響を受けて、当時有名だったMySpaceというSNSがお気に入りでした。
(ご存じない方の為に説明するとMySpaceとは、HTMLとかコードを打ち込んでプロフィール画面を全体的にカスタマイズできたり、プロフィールで好きな音楽を流せたり・・・と、今思えばかなり趣味や個性をゴリゴリにアピールしがちなSNSだったんですよ。)
しかし2008年頃、友達から頻繁にFacebook招待のメールが来るようになり、とりあえず登録してみるとそのシンプルさに感動!
当時のFacebookって今の20倍くらいシンプルで、細かいカスタマイズも無ければ機能も最低限で、その単純さや使い勝手の良い感じがすごく良かったんです。
海外ではすでにFacebookブームでしたが、日本ではその後ニュースになるほどのブームが来るまでは2、3年あった気がするので、当時は仲間うちだけで超プライベートな使い方をしていました。
(相手のフィードに「ごめん、30分くらい遅れる!」とか、今思うとメールで送るような内容を投稿してた気がする・・・。笑)
日本にFacebookブーム到来
2010年代になると日本でもFacebookが一般的に認知されるようになって、mixiから移行していく人が増えましたね。
そこで一気にFacebook上の友達が増え、学生時代の疎遠になっていた友人などから一気に申請が来るように。
誰か一人友達になると「この人知り合いかも?」とおすすめ欄に見たことのある顔が次々と表示され、芋づる式に知り合いが見つかるあのシステムも、最初の頃は「すごいなー」「便利な世の中になったんだなー」くらいにしか思っていませんでした。
また、昔のように電話番号やメールアドレスを交換するという機会が減り、新しい友達ができる→SNSで繋がる という流れができるので(特に旅をしていて海外に友達ができた時は必須でした)、「Facebookをやめない限りは誰とでもいつでも連絡が取れるし、近況も把握できる」、「一人一人にメールを送らなくてもFacebookで近況を投稿しておけば友達みんなに周知できる」といった「現代の電話帳&伝言板」のような役割になり、いつしか無くてはならない存在に。
その当時の私は20代前半、暇さえあればSNSをチェック、今どこで何してるとかを呟いたり、遊びに行った写真や自撮りを投稿していたりと、ありきたりな承認欲求の塊でした。。
押し寄せる「SNS疲れ」
2010年代後半はInstagramやLINEだったりと別のSNSも流行って社会現象でしたね。
そして年々、時間とともに増えていくSNS上の友達。
だけど「知り合いかも」で見つかったような、曖昧なラインの友達が増えるほど、「近い友達」と「微妙な距離感の知り合い」が同じ空間にいることによって投稿する内容も躊躇するようになってきました。
共通の友達などで繋がりがあったりして申請拒否したり友達解除するのが気まずい場合も結構ありますよね・・・。(特に職場や仕事関連の人とプライベートのSNSで繋がるのは一番面倒だと学びました・・・。)
そして、そのような「あまり興味のない人」の投稿ほどつまらないものは無い。
他人の食事なんて興味無いし、他人の子供の成長をさすがに毎日見たいわけでもないし、好きでもない人の自撮りを何枚も見せられても正直イラッとしてくる。。。
直接顔を合わせて話したりするのは問題ないし好印象なのに、SNSの投稿がしつこかったり痛々しかったりして、印象がまるで変わってしまった・・・というような残念な体験、皆さんもありませんか?
個人的には、「SNSのせいでマイナスイメージになった人」というのがめちゃくちゃ増えました。
そんなことを感じていたら今度は「自分の投稿が周りにどう思われているか」と気になるようになってしまって、「私も知らず知らずのうちに誰かに不快感を与えているかも・・・。」と勘繰り始め、だんだん投稿することが減っていきました。
投稿を見られたくない人をリストで分けて「特定の人に非表示」にする設定を使っていた時期もしばらくあったのですが、だんだん「なんでこんなことしてまでFacebook続けてるんだろ?」と冷静に我に帰るように。
思い切ってSNS上の微妙な知り合いを解除して、定期的に人間関係の断捨離もしていましたが、それでもなんだか心の底からはすっきりしませんでした。
さよならFacebook!決意した理由
SNS疲れやプライバシーに関する不信感から、この数年私は、プライベートのSNSの更新を控え始めました。
それに伴って人付き合いもなるべく避けるようになり、社会からひっそりと身を潜めてひきこもりつつ、自分にとって「不要なもの」の断捨離をしながら暮らしていました。
「使わないけど一応残しておこう」と思い、Facebookの完全削除に対してはしばらく躊躇しつつあったのですが、最終的に考えてみて私自身を納得させられた理由は大きく3つ。以下で紹介していきます。
① 人間関係のトラブルの元は大体いつもSNS絡み
誰でも一度はSNSが原因で、人間関係の嫌な思いをしたことがありますよね。
先ほど書いたように、SNSのせいで相手の印象が悪くなったというのもあれば、迷惑な例だと過去の投稿や知り合いが勝手にタグ付けした写真などが原因で恋人に浮気を疑われたり、SNS上だけの薄い情報で他人に自分のことを誤解をされたり、苦手な人にしつこくコメントで絡まれたり、自分の友達に勝手にメッセージを送られたり・・・。
(ちなみに過去の実体験です。巻き込まれ事故多し。)
逆に自分が好きな人や恋人のSNSを見てしまって、過去の投稿や相手の交友関係だったり、見なければ気にならなかったことが妙に気になってしまい勝手に悩んだり、気になるけど本人に聞けないし・・・なんて気持ちを経験したことがある人も多いはず。
私も結婚する前に夫とSNSが原因になったしょうもない喧嘩が何度かあったので、話し合った結果「良好な関係を保つため」ということでお互いにフォローを解除してSNSは干渉し合わずにそれぞれやっていました。
ほかに思い出してみても、過去に恋人同士でお互いのSNSにつながっていた時に、トラブルの元になったことはあっても、逆にメリットや良かったこととかというのが何一つ無かったんですよね。
まさに「百害あって一利なし」状態だったので、「パートナーや大事な人たちとの関係にトラブルや揉め事をもたらすリスクを考えたら、もはやFacebookが無くてもいいか」と思いました。
② 普通にプライバシーが気になる
また、ここ数年はプライバシーやセキュリティに関しての意識も強くなりました。
IT大企業への不信感や、自分でも「ずいぶん疑い深くなったな」と思うほどいろいろ気になり始めていて、実際に都合よく個人情報が守られているほど安心できる世の中ではないかなと感じます。
また自己責任ではあれど、過去に気軽にアップロードしてしまった投稿が将来自分の足を引っ張る結果になったり、自分の想定外のトラブルを引き起こしたり後悔する人も増えてもいます。(いわゆるデジタルタトゥー)
先日、Facebook中毒な知人が暇すぎて他人の過去の写真を検索しまくっているという話を知ってしまうことがあり、改めてはっとしましたが、ネット上に存在する自分の情報って自分が意識する以上に、知らない間に案外見られているものだと思います。(相手に悪意があっても無くても。)
かつてインターネットが普及し始めた頃はみんな警戒していたのに、今や自分の顔や個人情報を当たり前のように世界に向けて公開するようになりました。
それが良いのか悪いのかはさておき、その後の人生のどこかで後悔する可能性がゼロではないということは忘れてはいけないし、それを考慮した上でSNSの使い方も判断していこうと思いました。
③ 思い出は儚くていいんじゃない
今までアカウントを削除するに踏み込めず躊躇していた理由で最も強かったのは、「ほとんど連絡してはいないけどなんとなく繋がっていたい人たち」の存在。
というのも、最終的に私のFacebook上の友達の7割くらいが、過去の旅やバックパッカー生活で知り合った人たちだったのです。
一期一会の出会いだったり、もしかしたらいつかまた会えるかもしれないかもしれないし、基本的に連絡は取らないけどなんとなく繋がりを持っていたい といった存在の人たち。
そして長年、生活の合間で多くの時間をFacebookに費やしてきた結果、10代の頃からの思い出の写真や友達との交流の履歴などもすべて残っていました。
過去の投稿は非表示にして自分だけが見返せるようにもしていましたが、完全削除するとなると日記や思い出のアルバムを手放すかのような寂しさや躊躇する気持ちが少しありました。
実際、過去に投稿したデータに関しては、本当に気に入っているものはダウンロードしたりスクショを撮って保存するといった形で落ち着いたのですが、
「誰かとの繋がりや思い出」とはどう向き合うべきなのか。
過去の経験などを思い出しながら少し考えてみました。
かつては仲が良かった友達や昔の恋人など、ふと「元気にしてるかな?」と気になってSNSで近況を知ったり、数年ぶりに再会してみたものの、自分の記憶の中の相手がすっかり変わってしまっていたり、期待とは違った形で思い出を上書きしてしまったことで、少し寂しいような気持ちになる・・・なんて経験、みなさんはありませんか?
たどり着いた私の個人的な考えとしては、思い出は思い出のまま心に残していたほうが美しいことも多くて、二度と会うことのない相手だとしても「あの時こんなことあったな」「お世話になったな」「懐かしいな」と、もう戻れない人生のひとときに思いを馳せるくらいのほうが尊くて素敵なんじゃないかなと、ワビサビ的な美しさを感じました。(今っぽく言うと「エモい」。)
インターネットが無かった時代のロマンみたいなものになんか最近よく憧れるんですよね。
もちろん長期的により良い影響を与え合えることだってたくさんあるので、自分が継続して付き合っていたいと思う相手とは現代のテクノロジーを利用して積極的につながるべきですが、無理やり知り合い同士をつながらせてくるお節介なSNSに管理されて義務的につながる必要はないんですよね。
実際にFacebookでいつだったか「最近○○さんとやり取りがありません」「挨拶を送ってみましょう」みたいな感じの内容が表示された時期があってちょっと引いた記憶があります。。さすがにお節介すぎるだろって。笑
最終的に私はFacebookを削除する前に、一人一人の名前を見て「今後の人生で本当にまた会いたい人」を確認し、個別にメッセージを送りその旨と今後の連絡先としてメールアドレスを伝えました。
実際のところ、大切な友達のSNS以外の連絡先はほとんど事前に確認していたので、そのメッセージを送ることとなったのは数百人いるうちのたった2人だけでした。
Facebook辞めてみて思ったメリット・デメリット
言うまでもなく、私にとっては圧倒的にメリットしかなかったです!
とはいえこの記事がもしかしたらどこかで誰かの参考になるかもしれないので、絞り出してデメリットもいくつか挙げてみます!
【メリット】
・圧倒的な解放感(削除のボタンを押した瞬間、最高の爽快感が得られます)
・平和な精神状態を保てる(うっかりSNS見てネガティブな気分になったり憂鬱になったりすることが無くなる)
・不必要なやり取りや、時間を無駄にしてしまうきっかけが減った
・過去の自分の投稿なども表面上はFacebook上から消去することができた
・他人との付き合い方を見直せた
【デメリット】
・Facebookアカウントが無いと登録できないサービスや見れない情報もある
・「完全削除」してしまったので、もし今後気が変わったときに復元できない
・人との交流が好きだったり人脈を大事にしたい人にはメリットほぼ無し
最後に、SNSを利用する人は利用しない人と比較して精神面に支障をきたす可能性が高く、利用頻度が高いほどうつ病を発症するリスクも高いということが科学的にも研究されています。
SNSを完全に削除をする以外にも「アカウントの一時停止」といった設定などもあります。
毎日スマホに触れていると依存しやすくなってしまうこともありますが、SNSによってストレスを感じることが増えたと思ったら適度に距離をとったり、自分に合った付き合い方を見つけてみるといいかもしれません。
今回は私の体験談を長々と語ってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
このブログでは、「シンプルな気持ちで、シンプルに生活していたい」と心がけている筆者Natyの、物理的・精神的に不要なものを減らしていく過程や心境を他にもいろいろ書いているので(今後も書いていく予定なので)、興味があったらぜひ読んでみてくださいね!